米系最大手投資銀行の日本法人で「諜報部隊」を務めた人物からこんなことを聞いたことがある。後に我が国のメガバンクによって表向き「合併」された日本法人だ。
「原田さん、驚いたことにメガバンクの連中、ニューヨークの本店ばかり調べて、ロンドン・シティー(City of London)にある店舗は一切調べなかったのですよ。本当はそちらに重要顧客情報は全てあったのに」
私が見る限り、マーケットとそれを取り巻く国内外情勢にいつも絡み、もっと言えばそこでの動きを仕掛けているのはロンドン・シティーだ。ニューヨークのウォール街にいる連中ではない。そのことをたいていの日本人は見誤っている。
しかしそれもそのはず、ロンドン・シティーは紳士然と動くから、そうとは決して気づかれないのだ。しかも期間高率、すなわち「どれだけ短期間にもうけることができるのか」を追求するのが米国勢のいつものやり方だとすれば、ロンドン・シティーは見たところ、そのことよりも「歴史を構造として創り上げること」に専心している。とても時間をかけて強固な仕組みを創り上げるのであって、少しずつ少しずつのその動きがまさか歴史を変えることになるなど、夢にも思えないというわけなのである。
最近の例で言えば3月に入って国際社会全体を騒がせた「アジア・インフラ投資銀行」を巡る一件がそうだ。中国主導の国際的な金融機関とあって、米国を始めとする西側諸国は、これに参加しないだろうと当初は思われていた。ところがふたを開けてみると何のことはない、ロンドン・シティーを中核とした英国が真っ先に「入ります」と手を挙げたのである。これにドイツ、フランス、そしてスイス等の大陸諸国が怒ど涛とうのごとく続いたのだ。その様子に米国が唖然としたのは言うまでもない。
「これでいよいよパックス・シニカ(Pax Sinica=中国の平和)の時代がやって来る」
以上を読んであなたがそう思っているとすれば、ここで少し冷静になる必要がある。なぜならばあの狡猾なロンドン・シティーのことだ、中国勢を単に「上げる」だけではなく「下げる」ための仕掛けも考えているはずなのである。なぜならばこうした「上げ」と「下げ」があってこそ、初めてマーケットでは利潤を得ることができるからだ。
振り返ってみると、ロンドン・シティー人脈は、ここに来て一貫して中国勢による「金融立国」を手伝ってきた。私が知る限り、そうした意向をロンドン・シティーが対外的に明らかにしたのは2008年のことである。この段階でロンドン・シティーは「これからのアジアにおける金融ハブは北京と上海のセットだ」と明言していた。そして中国における金利の自由化を彼らは手伝い、そうした金融立国の延長線上にある措置として「アジア・インフラ投資銀行」に真っ先に参加するよう英国を仕向けたのである。
だが金融立国とは要するに製造業のウエートを下げることを意味する。貧富の差は確実に開き、チャイニーズ・ドリームを失った「人民」たちは強烈に不満を覚えるはずだ。やがてそれが政治的な動乱を招き、下手をすると中国共産党による支配という既存の政治システムを大きく揺るがしていく……。
だが実のところ、事はそれほど簡単ではない。なぜならば中国の金融立国化を教育してきたのは我が国でもあるからだ。ここに我が国を筆頭とした東アジア勢の狡猾さが見え隠れする。「米欧に迫られたらば日本カードを出す」これが中国のいつものやり方なのであって、ここに来ての習近平体制による親日路線の喧伝も、そう考えるとよく分かるというわけなのだ。
中国大陸を巡り、対峙するロンドン・シティーと我が国。1930年代にも一度見られたこの構図が今後、何をもたらすのか。戦乱か、それとも東アジア主導の新世界秩序か。静かな戦いは今始まったばかりである。
原田武夫(はらだ・たけお)
元外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
情報リテラシー教育を多方面に展開。講演・執筆活動、企業研修などで活躍。
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