昔、私が外務省に入省した頃には、「食事マナー研修」というのがあった。どこから費用を捻出したのかは知らないが、都内の超高級ホテルでフレンチのフルコースを頂きながらバトラーの方々からお作法を学ぶのだ。実に楽しい研修だった。その時、同期の一人が、少しだけ意地悪い質問をした。
「外側からフォークやナイフを取るのは分かりました。しかし万が一、間違った順番で取ってしまったら、どうすればいいのでしょうか?」
「これはまた意地悪な質問を」と皆がクスクス笑いながらバトラー氏を見ると、彼は動じることなくこう言い切ったのである。
「そんな時には『これこそが正しい作法だ』といった顔をして平然と食べ切ればいいのです。誰も何も言いませんよ」
あれから20年近くの月日が経って思うのだが、全くもってこの答えは正しい。世間には明らかに2種類の人たちがいる。「枠組みを創る人」と「与えられた枠組みを守る人」だ。前者はその立ち居振る舞いがそのままルールとなり、これを後者が必死にまねをしていく。
結局、何が正しいかは前者が全て決めることになるので、そこに正誤などないのである。要するに堂々と「これがルールだ、何が悪い」と気張っていれば、何も問題はないというわけなのだ。
最近、「世界史の根源的な勢力」の一員から突然、呼び出しを受けた。こう言うと派手な高級スーツを身にまとった、見るからに金持ちそうな西洋人男性にリゾートへでも招かれたように思うかもしれない。「ユダヤ人」「フリーメーソン」といった単語が浮かぶかもしれない。だが、そんな人々は、実のところ使用人に過ぎないのが本当の世界史なのである。そこで根源的な勢力は女性であれば、サンダル履きに白いスパッツといった風情で登場したりする。
その時もそうだった。そして開口一番、早口の英語で言われたのである。「日本人は、どうかしているのではないか。あの『集団的自衛権』とは一体何のためなのか。全くもって理解できない」
思いの外に我が国について熟知しているその人物いわく、「日本は異なるルールで走っているから意味がある」のだそうだ。
そして今、世界は米国や中国を筆頭にあしき方向(具体的にはとにかく戦争を引き起こし、マネーを動かす方向)へと収斂している。大いにバランスを失してしまっているのであって、だからこそこうした状況を止めることができるのは、日本しかないのである。なぜならば、繰り返しになるが日本だけは平和憲法という「異なるルール」で走ってきたからだ。
「それがここに来て、何ということか。日本は米中と全く同じ戦争ゲームを行おうとしている。これほど無意味なことはない。なぜ当の日本人には、それが分からないのか」
集団的自衛権は「国際社会の常識」と賛成論者たちは口々に言う。「右に倣え」を旨とし、誰かが最初にやったらば、それをまねることばかりをする癖が(特に「失われた20年」の間に)、刷り込まれた私たち日本人にとっては、納得してしまう論法である。だがその実、「世界史の根源的な勢力」からすると、これほどまで馬鹿なことはないのである。日本人を日本人として意味あるものとしてきたのは、何を隠そう、「他とは異なるルールで走る癖があったから」だ。なぜなら、そうすることによってのみ、大勢とは異なる価値が生まれ、イノベーションが起きるからである。
ところが安倍晋三総理大臣はといえば、どこに脅されたかは知らないが「皆と同じ集団的自衛権というルールにしましょう」と言ってやまない。
そして「世界史の根源的な勢力」の逆鱗に触れてしまっているのだ。だから総理に言いたい、「他人と違うことを行う勇気を」と。日本が勇気を出して、そうするか否かを世界史の主たちは今、注視しているのだ。
原田武夫(はらだ・たけお)
元外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
情報リテラシー教育を多方面に展開。講演・執筆活動、企業研修などで活躍。
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