そして「過ぎ越しの祭」は続く

時代を読む-第87回 原田武夫

時代を読む-第87回 原田武夫

過ぎ越しの祭

この原稿を書いている最中に「ウィズ(With)コロナ」あるいは「ポスト(Post)コロナ」といった言葉がインターネット上では聞こえ始めている。無論、マスメディアや公的機関はそんなことをおくびにも出さない。とにかく「外出を自粛して」「ステイホーム(Stay home)」という呼びかけだけを連呼する。

「一体どうなってしまうのか」

そう真剣に思われている読者の皆さんも大勢いるものと拝察している。確かに今回の新型肺炎(COVID-19)はあてどない旅のような状況に陥っている。だがしかし、そうであるからこそ頭をクリアにして整理しておく必要がある。グローバル社会に突如襲いかかったこのパンデミックを考えるに際しては、二つのレべルに腑分けして捉える必要があるというのが私の考えだ。

一つのレべルで捉え直した場合、まずは「本当にこれでおしまいなのか」という論点がある。パンデミックといっても人口の中で一定程度の割合が罹患してしまえば、それ以上は急激に患者が増えるいわゆる「オーバーシュート」は起きず、むしろ罹患者は低減するのが一般的だ。COVID-19についても同じなのであって、必ず「終わり」は来る。

いや、そもそも今回のパンデミックは、莫大な量的緩和をしつつも根本的な景気浮揚に失敗し、本当ならば戦争経済に突入したいものの、ソーシャルメディアがここまで普及したため、開戦の決断すらできず煩悶していたグローバルリーダーたちによる作為・不作為がちらつく事象である。あらかじめ設定した「景気縮小の度合」まで達すれば、何事もなかったかのように一斉に規制措置の解除を次々に喧伝し始めることは目に見えている。

だが、問題はそれほど遠くない将来に再び別のパンデミックが人類社会に襲いかかるだろう、と専門家たちが睨んでいるという点なのだ。とりわけ激痛をもたらす「胃腸炎系」がもっとも可能性があると考えられている。COVID-19と何らかの関連性があるとすればもはや人類に逃げる道はない。真正面からぶちあたりながら、あとは生き残るのは確率論の世界ということになってくる。

当然、「2度目のパンデミック」を前に私たちは全体としてこれまでの在り方を変えざるを得なくなってくる。いや、積極的にそうしようとする動きが出てくるはずだ。そこにそれ以外の天変地異や、今回すでにギリギリのところまで行っている急激な景気悪化が再び重なればなおのことそうなのである。

しかし私の目から見れば、今起きていることをもう一つの、より高いレべルから考え直すことの方が重要なのだ。すなわち「このパンデミックは私たちに何かを気付かせようと、私たちが全く認識できない何かからの働きかけによって生じていることなのではないか」という、ある種、神秘主義的なレべルからの問いかけだ。

「そんなことはない」「神など信じない」と読者は必ずや言うことであろう。しかし、これから先、ややあってから今度はこれでもか、これでもか、と筆舌に尽くしがたい甚大な被害を伴うリスクの炸裂がこの地球上で連続するとき、先ほど述べたようなレべルをはるかに超えて、私たちは必ずやこう、共に嘆くはずなのだ。―「何者が私たちにここまでの災禍をもたらすのか。一体何が目的なのか」

古代の人々は“このこと”をすでに知っていたようだ。世界中に遺されている神話には必ずといっていいほど「審判の日」に関するくだりがある。典型的なのが旧約聖書に記されている「出エジプト記」である。紙幅の都合上、ここでは詳細は省くが、あのとき、ユダヤ人の出国を拒んだエジプト王とその民たちに降りかかった災難こそ、今これから私たちを絶望の淵にまでおいやる出来事と同じであるとすればどうであろうか。

その意味で私たちが今考えるべきは「本当に“過ぎ越せる(pass over)”のか、否か」なのである。残された時間はほんのわずかである。読者にこの問いに対する答えは、もう見えているであろうか。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。