このコラムを執筆している今(2021年1月末)はいまだ新型コロナウイルス撲滅のための「緊急事態宣言」が我が国において発令されている最中だ。
先日も博多、名古屋と仕事で地方を巡ったが夜になると街は完全に静まり返っていた。本来ならばネオンが輝くべき繁華街も今は夜になると不気味な静けさを漂わせる一隅となってしまっている。
そうした中で深く感じ入ったことがある。それは私たち=大人は果たして「未来を支える若者世代」たちのことをこうした今だからこそ考えているか、ということである。静けさしかない繁華街をタクシーで横切りながら、ふと昨年、我が国において最も愛された歌のタイトルが『夜に駆ける』であったことを思い出した。
そう、私自身は幸いにもタクシーでそんな風に半ばゴーストタウンと化した繁華街を「夜に駆ける」かのように突っ切りながらふと感じ入ったのである。
私たち=大人は今回のパンデミックに際して、結局は「カネの問題だ」と割り切り始めて久しい。2度目となる「緊急事態宣言」に直面し、なぜ前回(2020年)は店を閉めることのなかった飲食店が今回は真っ先に店を閉めているのかといえば、相応な給付金が支払われるからである。無論、その対象や規模、そして金額の多寡を巡っては議論の余地があるはずだ。そのことに異論を挟む余地はない。だがしかし、そうした中で「もっと考えるべき本当の問題」を私たち自身が見過ごしていないか、気になって仕方がないのである。
昨年に「緊急事態宣言」が発令され、ややあってから、我が国における自殺者がとりわけ女性について増加したことが報道され、耳目を集めた。「COVID-19でテレワークを余儀なくされたり、あるいは労働環境の劇的な変化を体験するなどして日々の生活に困難を感じた女性たちが多くなったのではないか」と論じられている。しばらくすると駅構内でこんなポスターを見かけるようになった。
「あなたは一人じゃない。ぜひご相談を。」
私は昨年から東京大学の1・2年生を対象とした自主ゼミを学生自治会の公認を得て展開している。ゼミの名前は「未来シナリオとリーダーシップ」だ。私が代表を務める研究所の「社会貢献事業」として展開してきているわけだが、今年4月からはいよいよ教養学部当局からの公認を得て、単位認定ゼミへと昇格する予定だ。そうした中で我が国の明日を担う学生の皆さんと数多く接する機会を得てきた。
端的に言おう。今回のパンデミックで最も心理的な苦痛を被っているのは私たち=大人ではなく、彼ら若者たちなのだ。1年以上続く今回のパンデミックを巡る大騒動の中で厳格な行動制限を強いられ、若者たちは自宅にいることを余儀なくされている。全身全霊で努力してようやく希望する高等教育機関の扉が開いたかと思いきや、「通学は禁止」となってしまった。事実、私の東大での教え子の中には1浪して合格したもののオンライン授業を余儀なくされ、結局、北陸地方にある実家にとどまらざるを得ない学生などがいる。マスメディアは決して報じないが、それが彼らの現実であり、日常だ。その忸怩たるもの、いかほどであろうか。
それでも今の学生たちはこうした「矛盾」に対する牙を剥く術すべを知らない。「学生運動」のやり方も知らないのだ。相も変わらず「グローバル化」を叫び続けるが一向に留学などさせてくれない大学当局の教えを従順に守り、自宅で一人こもって勉強している。つまり「夜に駆ける」ことなど出来もしないわけだが、それでも声一つ上げず、ひっそりと引きこもっている。そしてじわじわと押し寄せる心理的圧迫に独り耐え、ネット空間の中でやり場のない怒りを抱えながら、ひたすら歌っているのだ。「夜に駆ける」ことが出来る日が必ず来ると信じて。
やれ「給付金だ」「バブル再来だ」「仮想通貨の急騰だ」「株価が跳ね上がっているぞ」などと叫ぶ前に、これまで放蕩の限りを尽くした私たち=大人の世代が本当にやるべきことがあるのではないだろうか。
「明日を支えてくれる若者世代の未来に向けた希望を支える」ということ。彼らに「夜に駆ける」ことの出来る未来が必ずやって来ることを語ろうではないか。私は、強くそう思う。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています