北前船の寄港地の華やぎ、赤崎漁港
鳥取県のほぼ中央、米子市と倉吉市の間に位置する赤碕港は、享保・寛政年間(1716〜1789)に築港の記録が残る、古くからの港町である。
江戸時代に入り、赤碕港から大坂へ年貢米が回送され始めると、船番所(通行する船を検査し、税を徴収する役所)が設置され、その年貢米を収める藩倉が立ち並んだ。
また、北前船の寄港地としても栄え、倉吉の産物やその原料、あるいは日用品などの移出入にも、ここ赤碕港が使われた。
さらに、伯耆街道(ほうきかいどう:山陰道)の宿場町にもなり、海路・陸路の交通の要衝として発展した。全国的に綿花栽培が盛んになると、一大産地に成長し、大坂や京都などの商人との取引が、その繁栄に拍車をかけた。
こうした往時の姿は、海に沿って立つ家々の中に、漆喰に海鼠壁の大きな蔵を持つ旧家によって、今に伝えられている。その一つが、日本の芸術写真の分野で草分け的存在として活躍した塩谷定好の生家だ。
塩谷家は、代々廻船問屋を営む富豪で、1906(明治39)年に本宅兼事務所として建てられた木造2階建ての建物や土蔵群が、その栄華をしのばせる。現在、「塩谷定好写真記念館」として公開されている。
この旅をともにしているレクサスのフラッグシップセダンLSと、歴史ある、古きよき情緒が漂う赤碕港の夕暮れは、まるで映画のワンシーンのようだ。赤碕の狭い旧街道でも、レクサスLSは、大きさはあるが取り回しがいいので、楽に運転することができる。