トヨタの英断
1997年、「21世紀に、間に合いました。」とのキャッチコピーとともに登場したプリウス。当初は、石油枯渇ムード下で打ち上げ花火的な捕らえ方をされていたことは否めない。この時期、自動車業界は代換燃料の模索から、電気による駆動を主体とする自動車をコンセプトカーとして多く発表するが、現実的には実証実験と称して自治体などで運用されるにとどまり市販されることは稀だった。
そのようなカテゴリーにプリウスもなるのではないかという大方の予想を裏切り、トヨタは大英断ともいえる市販に踏み切った。しかし、カローラとコロナの中間とも言えるサイズと、環境性能以外の内容を考えると、クラウン並みの価格では、いくら燃費が28km/l(10・15モード)と驚異的なハイブリッドであっても、市場は受け入れ難い。
風向きが変わってきたのは、1997年12月11日の地球温暖化防止京都会議で、いわゆる京都議定書が発布されてからだ。
80点主義で圧勝
京都議定書をうけ、初代プリウスは低燃費CO2低排出という図式の元に地球温暖化防止の旗頭に据えられ、ハイブリッドシステムの普及を一気に促進した。マイナーチェンジを施した2000年には環境にうるさいと言われる北米でも販売を開始する。
この頃、電気自動車もブームを向かえ日産からはハイパーミニが登場した。電気VSハイブリッドの戦いにおいて環境面では電気自動車に軍配が上がるかに見えたが、航続距離や充電インフラなど日常的な性能としての問題が山積みであり、過渡的な技術といわれたハイブリッドの圧勝となる。ホンダは独自にハイブリッドシステムを開発し1999年に「インサイト」を発表するが、低燃費のみに的を絞ったコンセプトが災いしセールスとしては失敗に終わっている。いい意味でも悪い意味でもトヨタを例える言葉として根強く残る「80点主義」が日常性能をもたらし、プリウスが圧勝した。
トヨタを追いかけるドイツメーカー
プリウスは2003年にモデルチェンジを行い、国際競争力の強いCセグメントに属するサイズとなった。VWゴルフなどとがっぷり四つに組むクラスだ。燃費性能の他に居住性や質感も向上させ、もはやハイブリッドだからと我慢するようなクルマではなくなった。
この頃から、ハリウッドなどでプリウスブームが起こると、もっと大きなクラスでのハイブリッド車の要求が高まる。レクサスLS600hの誕生である。メルセデスのSクラスに比肩するサイズながら同Eクラス並みの省燃費。しかしハイブリッドは、もう一つの利用法である「過給器の代換」という性能も示した。5リッター弱のエンジンが6リッターを越えるメルセデスほどのパワーを持ったのだ。それでいて燃費は4リッタークラス。世界は騒然とならざるを得ない。
ドイツメーカーは慌ててハイブリッド計画を主要なショーで発表する。あのポルシェでさえカイエンにハイブリッドを搭載するというのだ。
広がる“ナチュラル・エコ”
目下、トヨタはプリウスやレクサス以外にもハイブリッド車を拡大させている。また、家庭用電源からも充電可能な「プラグインハイブリッド」の市販化も着々と進んでいる。一方、ホンダはシビック、海外ではそれに加えてアコードのハイブリッドを展開し、カリフォルニアでは燃料電池車「FCXクラリティ」をリース販売する。ホンダの技術開発意欲は、いまやトヨタに迫る。また、三菱の電気自動車iMievは、走行距離や充電インフラを考えると、トヨタ、ホンダほどの普及は考えられないと断言できようか。
今や、トヨタもホンダも、エコロジーを謳いユーザーに我慢を強いる様な製品は作らない。苦行僧的な美徳感ではエコロジーは普及しないことを、プリウス発表からの10年間で学んだのだ。エコは無意識にできるもの、さらにいえば楽しめてこそ普及する。我慢は、カラダにも地球にも益をもたらさない。
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています