東京から一路、踊り子号の列車で南端に近い下田まで、約2時間半。川端康成の名作「伊豆の踊子」の場面を彷彿とさせる旅の終わりに、紺碧の海に抱かれた下田の町に着く。
黒船が訪れた幕末時代の港町風情を残す下田の町、その北西部に聳える60m近い小山は、かつて港を見張る御番所のあった所。現在は、翼を広げたような形で下田東急ホテルが佇み、大浦湾の絶景を独り占めしてる。
ドラマチックなランドスケープを利用して、緑豊かな庭園、その少し下にヤシの木に囲まれた宿泊者専用のプールが隠されている。そこから樹林の小道を下っていくと、小さな入江に守られた鍋田浜海水浴場に迎えられる。旅行者の少ない遠浅のビーチは、地元の人々に混じって寛げる、憩いの浜だ。
客室(112室)の大半はオーシャン・ビューのツインルームで、晴れた日には伊豆七島が水平線に望める。海側にはさらに和室が4室あるほか、最上階6階には昭和天皇が宿泊されたロイヤルクラシカルスィートが。また、5階には三島由紀夫が愛用した、落ち 着いた雰囲気の⼭側のツインルームも残されている。彼はここで最後となる小説「豊饒の海」を書き上げた。
ホテルは1962年に開業し、伊豆のリゾート・ホテルの先駆けとして話題を集めた。2017年に館内の大改装を行ったが、伊豆国立公園に位置するため、大規模な改造は制限されており、今も広い庭園に囲まれた中層のゆったりした造りを留めている。
一階は、半世紀を経たホテルの歴史を物語るギャラリーがある。南伊豆を代表するホテルとして様々な式典の場にも。庭園に青葉を吹くオリーブの木は、バチカンとの交流を記念したもの。
このホテルが欧米人にも人気なのは、オリーブの育つ南伊豆の風土と、入り組んだ海岸線を見下ろす立地などが地中海リゾートを思わせるからだろう。
庭園に面したガラス張りのレストラン「マ・シェール・メール番所」は、地元の山海の食材生かした和洋折衷料理が好評だ。伊勢海老の風味たっぷりのフィッシャーマンズスープ、本場の山葵で一段と引き立つお造り。ワインの種類も豊富に取り揃えられている。
夏のシーズンにはバーベキューをコース仕⽴てで楽しむ、ガーデン・ダイニングも人気だ。朝食は海の展望と朝日を満喫しながら、バラエティたっぷりのブッフェが並ぶ。伊豆産の旬のフルーツや野菜が彩を添える。
食事前に、朝日にきらめく海、あるいは満点の星空を仰ぐ露天風呂へ。湯煙の中に浮かぶ、一際大きな島影は⼤島の隣の新島らしい。
伊豆の踊子の小説では、主人公は下田港で、大島に帰る踊り子と胸を引き裂かれるような別れを経験する。
今では下田から高速船(限定運航だが)で大島まで⼩⼀時間だが、遥かな離島であった大正時代…長い旅路のロマンに浸りながら、さらさらと肌に心地よい単純泉に心身が癒やされた。
ホテルからは伊豆急下田駅まで、シャトルバスが運行されている。数分の距離だが、幕末の開国名所旧跡である宝福寺や了仙 寺、⻑楽寺、ペリー・ロード付近を通るので探訪の参考に。ホテルから歩いていける、和歌の浦遊歩道も散策におすすめだ。
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星を獲得した約2.5kmの遊歩道だ。伊勢海老や鮑が生息する磯風景(漁は禁止されている)と、ユネスコ世界ジオパークにも認定された、迫力ある海辺の造形が楽しめる。
遊歩道は黒船を率いたペリー総督ゆかりの、ペリー・ロードに通じている。なまこ壁の古民家が並ぶ川沿いの道は、レトロな旅情へと誘う。そぞろ歩きしている内に、マドレーヌの名店、日新堂に行き当った。
ホテルのお茶請けにもだされるそれは、三島由紀夫が絶賛したという、リッチでまろやかな風味。下田を「僕の夏の故郷」と称し、多くの夏をここで過ごした三島は、半世紀を経ても昔の姿を留める定宿と、変わることのない味わいのマドレーヌを、豊饒の海の彼方で喜んでいることだろう。
●下田東急ホテル TEL0558-22-2411
※『Nile’s NILE』2021年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています