周防大島は本土から日本三大潮流、大畠瀬戸を渡る1㎞ほどの大島大橋で結ばれている。瀬戸内海で3番目に大きな島で、その形状にちなんで、地元では金魚島という名でも親しまれている。頭の部分には600m級の山がそびえ、長い尻尾の部分には景観のビーチが続く。
その中でも、片添が浜は環境省が日本の水浴場88選に定めた、三方を海に囲まれた山口県を代表するビーチだ。緩やかな弧を描いて続く白浜は別称、バナナ・ビーチとも。澄んだ遠浅の海が沖までゆったりと広がる。
浜の東には緑豊かな海浜公園、日帰り温泉施設、瀟洒なカフェなどが、西にはリゾートホテル「サンシャイン サザンセト」がある。淡い薔薇色の南欧風の建物が、ヤシ並木のプロムナードを設けた白浜を独り占めしている。
「サンシャイン サザンセト」の夏の風物詩ともなっているのが、サタフラ。サタデーナイトのフラダンスだ。周防大島が瀬戸のハワイとも呼ばれているのは、そのトロピカルな風光はもちろんのこと、19世紀末から約4000人の島民がハワイに移民したから。
彼らが持ち帰ったハワイの生活文化が島に残っており、ハワイの子孫らと島民の交流が今も続く。周防大島はハワイのカウアイ島と姉妹島となっている。伝統のフラダンスも盛んで、全国フラダンス大会も開かれるようになった。
夏は役場など官民の職員がアロハ姿を盛装とするアロハ・ビズで出勤し、アロハ姿の旅行者にもさまざまな特典を設けているとか。地元の店でもハワイ直輸入のアロハやムームー、ハワイの雑貨などを販売している。
町中にある日本ハワイ移民資料館は、財を成して帰国した事業家の、一世紀近く前に建てられた屋敷を活用したもの。サトウキビ畑で働く日本人たちのセピア色の写真が数多く展示されている。厳しい環境にあったというにもかかわらず、その表情は明るくたくましい。
「サンシャイン サザンセト」のビーチに面したテラスにも、ポリネシア諸国でよく見かける守り神、ティキの木彫り像がたたずむ。縁結びの神様ともされており、ビーチウェディングやハネムーンに人気のスポットだ。
夏になるとテラスはビアガーデンとなり、それに続くレストラン「バナナ・ビーチ」も開放的でトロピカルな風情が漂う。瀬戸内海の新鮮なシーフードを使った和食はもちろんのこと、洗練された創作フレンチも。和洋折衷のコース料理は、定評がある。
浜辺には小さな屋外プール、そして、海を望む屋内温水プール、露天風呂、大浴場、スパエステとリラックスできる施設がそろう。200室余りの客室もたっぷり大きな窓がリゾート感あふれる造りだ。落ち着ける畳みの和室も用意している。
海辺のテラスに個室露天風呂付の客室で潮騒を聞きながら、水平線を昇る朝日を浴びながら、あるいは、降るような星空を仰ぎながら「サンシャイン サザンセト」の湯浴みを満喫する。
周防大島にはみかんの名産地でもあり、ミカン畑をつなぐ整備されたオレンジロードが縦横に島を走る。一方、漁業も盛んだ。瀬戸内海航路の要衝地にあって、その昔は、村上水軍でもしられた海賊がここに多く移り住んだという。
そうして、造船や船会社も栄えた。島の南端に続く人口150人、日本最長の長寿島沖家室島。全盛期には3000人が住み、海の仕事を生業としたという。フカに姿を変えて娘を救った伝説のフカ地蔵を祭った泊清寺は、博学な住職のもとに手入れが行き届き、小さな島の豊かさを感じさせた。
片瀬海岸の東に続く和佐海岸には、波間に鮮やかな朱塗りの鳥居が立つ。その和佐の集落は、重厚な瓦屋根に黒い艶を帯びた木造の屋敷が連なる。表札には達筆な字で海運会社の名前が記されたものも。
都会人の多くは貧しくものんびりした島々の風土に魅かれるようだ。が、周防大島では、大洋に挑んだ島人が築いた、たくましく富裕な生活の名残に魅せられた。見事な枝ぶりの松に守られた数寄屋門を入って、ここで培われてきた贅沢な島暮らしをしてみたいと思った。
※『Nile’s NILE』2020年7月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています