徳島関連の記事一覧
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CULTURE
阿波へ
富街嫋嫋「蜂須賀25万石、藍60万石」と謳われた徳島の花街富田町は、かつて「富街(ふうがい)」と呼ばれていた。明治時代、富田町に検番が設けられ、昭和初期の最盛期には芸妓は200人を超えた。数多くの料亭が立ち並んだ路地を、お座敷へと急ぐ芸妓や人力車が行き交い、それは華やかだったという。「富街」は阿波藍の商談の場として、県の財界、官界などの会合の場として繁栄し、三味線の音は引きも切らなかった。お稽古事の盛んな徳島の風土と相俟って芸妓たちは皆、器量よしで芸達者。時は移り人は変わりながらも、かつての嫋嫋たる風情が残る「富街」を歩いた。
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CULTURE
阿波へ
阿波藍の誕生明治期にピークを迎えた徳島の藍栽培は、その後、ドイツの化学メーカーによって合成藍が量産されるようになったことで衰退する。現在、「藍師」と呼ばれる職人が残るのは、県内に5軒のみ。そのうちの1軒である石井町の武知家と、武知家の藍に魅せられた板野町の染師を訪ねた。
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CULTURE
阿波へ
四国八十八ヶ所 霊山寺徳島は撫養(むや)から始まる。特に京、上方など東から来る人にとっては、四国への入り口である。だからこの地には、さまざまな人が立ち寄り、歴史の結節点を作ってきた。徳島のことばが京ことばに似ている、というのもそこに所以があるのだろう。四国八十八カ所第1番札所の霊山寺もここ撫養にある。若き空海の修行もまた、撫養港が起点だったのではないだろうか。今なおこの地に濃厚に沈潜する“空海香”。阿波の国は以来、どんな歴史の波に洗われてきたのか。時が刻んだその足跡をたどる。