
50歳で東大合格した安政真弓さん
50歳で東大合格、挑戦することの大切さを実感
塾講師として働きながら2人の息子を育てていた私は、50歳の春に 東京大学文科三類に合格 しました。次男が東大理科一類を目指して受験勉強をしていたことに刺激を受け、挑戦を決意しました。残念ながら合格したのは私だけでしたが、 挑戦することの大切さを改めて実感 しました。
私は10代の頃、東大を目指していましたが、 2浪の末に早稲田大学に進学 しました。結婚後は専業主婦を経て、 次男の小学校卒業を機に兵庫県姫路市で「安政ゼミナール」という補習塾を開業。少人数制の指導を重視し、生徒の美術の宿題など副教科対策まで行う塾として運営してきました。東大在学中は休業していましたが、卒業後に再開しました。
勉強を再開するきっかけは「ママ友トラブル」
東大を再び目指すことになった きっかけは、30代の頃の「ママ友トラブル」 でした。息子が幼稚園に通っていた頃、あるママ友とのトラブルで 「私には何の価値もないのでは」と落ち込み、状況を変えたいと考えたときに、勉強に目を向けました。
若い頃に取得を諦めた フランス語検定2級の合格を目標 に勉強を再開し、結果的に合格。この成功体験から、 イタリア語やドイツ語など他の語学にも関心が広がりました。塾の運営をしながら、ラジオ講座などを活用して独学を続けましたが、 ラテン語やギリシャ語は独学では習得が難しく、誰かに師事して学びたい という思いが強くなりました。
次男とともに東大受験に挑戦
時が流れ、次男が東大を目指して浪人することに。私は 「10代の頃、東大模試でA判定を取りながらも、本番で実力を発揮できなかった後悔」 を抱えていました。次男の勉強する姿を見て 「私も再挑戦したい」 という思いが募り、受験を決意しました。
しかし、 私の受験が次男に悪影響を与えないかが心配 でした。次男の予備校の面談で相談したところ、 「母親の頑張りは大きな励みになる」と担任から背中を押され、本格的に勉強を開始。
塾講師としての仕事は続けながら、 隙間時間を活用し、可能な限り勉強に集中。独学ながら、最初の東大模試で 全国40位 に入り、手応えを感じました。
受験勉強の必勝アイテムは「手帳」
合格に向けて活用したのが 「手帳」 でした。
年始に目標を立て、3カ月ごとに使用する問題集やペース配分を決定
模試を受けて実力を確認しながら、計画を修正
具体的な勉強計画は週単位で立て、無理のない範囲でスケジュールを組む
ただし、手帳の活用で最も重要なのは 「結果の記録」 でした。勉強が進んでいなければ 別のアプローチを試し、計画を柔軟に修正。この方法により、 50歳の受験でも無理なく効率的に学習 することができました。
本番に弱い自分を克服するために
若い頃の受験では、 模試でA判定を取りながら本番で失敗した経験 がありました。そのため、 50歳の東大受験では、そのジンクスを克服すること も目標の一つでした。
勉強を始めてから、 「やめよう」と思ったことは一度もありません。東大に入れば 素晴らしい先生から直接学べる ことが大きなモチベーションになっていたからです。
合格発表の日、届いたのは自分の合格通知
次男は 東大理科一類、私は文科三類 を受験。勉強法は、 予備校を活用する次男と、独学で学ぶ私で異なっていました が、それぞれマイペースに取り組みました。
合格発表の日。郵便局のバイクが自宅前に止まる音を聞き 「誰かが受かった!」 と思いました。封筒の宛名は 私の名前 でした。
最初に頭をよぎったのは 「息子はダメだったか…」 という思い。その後 「自分がやり切った」という実感がじわじわと湧いてきました。
東大生活とフランス留学、卒業後の活動
大学時代は、都内の別の場所で次男とそれぞれ暮らし、ときどき会う生活を送りました。私は 東大在学中にフランス留学を経験。最終的に 「教養学部 地域文化研究分科 イタリア地中海研究コース」 を卒業しました。
卒業後は、休業していた 補習塾「安政ゼミナール」を再開 し、現在も生徒たちと向き合いながら指導を続けています。
挑戦することに意味がある
受験生に伝えたいのは 「挑戦することの大切さ」 です。
うまくいけば、それは「プラスワン」
失敗しても「プラスマイナスゼロ」であり、マイナスにはならない
挑戦することで何かを失うことはない
受験シーズンを迎えた皆さんが、自分の努力に自信を持ち、 本番で力を発揮できることを願っています。