プーチンという男の野望と正体

時代を読む 第104回 原田武夫

時代を読む 第104回 原田武夫

時代を読む――原田武夫 第104回 プーチンという男の野望と正体

昔、東京大学を中退する直前の秋のことだったであろうか、シベリア鉄道の端から端まで乗ったことがある。

今思えば何とも無謀な旅であったが、当時は20歳そこそこ、全くもって「リスク」などという言葉は思いつくはずもなく、新潟からまずはハバロフスクまで行く飛行機に飛び乗った。

1992年。その前の年、「ソ連」は崩壊していた。最後は実にあっけなかったが、とにもかくにもかつての「悪の帝国」はなくなったのだ。かといってロシアという国が厳然と存在していたのかというとそうでもない。ただひたすら食糧がなく、「バブル経済」を経験したばかりのニッポンからやって来た私の目にはあまりにも貧相に映るファッションに身を包んだ人々はただそこに、大勢漂っていた。

忘れられない思い出がある。モスクワ、そしてサンクトペテルブルクと都市を訪れ、ホテルに着いた時のことだ。大勢の女性がどこからともなく寄ってきてソファに座る私の隣にたたずむのだ。弱冠20歳に過ぎなかった私の目にはあまりにも美しすぎた彼女たちの顔を、私は正視することができなかった。行く道で我が国から駐在している記者の方と知り合って彼女たちの正体を初めて知った。

「ソ連崩壊」後、英語ができる女性たちは皆、食べるために己の春を売っていた。法定通貨であるはずの「ルーブル」は全くもって通用力がなく、女たちはたくましく自らの春を売ることで糊口をしのいでいたのだ。

かつて岩倉使節団に随行した木戸孝允は現在のポーランドに位置する駅に列車が停車した際、車窓に寄って来る貧民たちを見て、愕然としたという。彼らの「母国」であるはずのポーランドは分割されていた。支配民族たちに徹底して虐げられ、極貧の境遇に陥った彼らにできることと言えば、時折通りかかる列車の客たちに物乞いをすることしかなかったのである。木戸孝允は涙を禁じ得ず、それと同時に心から誓ったのだという。—「維新を成功させなくては」

プーチン露大統領による「ウクライナに対する侵攻」は絶対に許されないと西側メディアは口々に叫ぶ。市民の尊い命が失われているという現実は絶対に認められない。それは確かである。私はいかなる形であれ無益な営みである「戦争」に与するものではない。戦争は何であれ、許されてはならない。

しかし、である。マクロン仏大統領をして「偏執狂」とまで言わしめたプーチン露大統領が何故に今回の「暴挙」に出たのか、その心理を私は知りたいのである。

「ソ連」が崩壊する時、プーチンは情報将校として東ドイツにいた。かつてソ連共産党によって迫害され、ついには追い出された数多くのユダヤ系ロシア人たち。彼らは米国やイスラエルへと向かったが、崩壊した直後よりそれまでとは逆転した立場を利用して、「ソ連」の国富を貪り始めていた。しかし「ロシア的なるもの」の側としてはそれに対して何ともしようがなかったのである(大統領はアルコールから手が離せなかったエリツィンであった)。

心身共に荒廃しきった同胞たちの悲惨な姿を見て、帰国した軍人プーチンが何を内心誓ったのであろうか。

繰り返しになるが「戦争」には一切与してはならない。だがしかし、「戦う側の論理」も歴史的な背景を踏まえ理解し物事に接しないと、全くもって問題状況を根本から解決することはできないと思うのだ。

ウクライナを巡る危機とその帰結を見る時、私はかつて見た「崩壊国家・ソ連」の姿をどうしても思い出す。プーチンの野望と正体は、そこから醸し出されたロシア国民主義の延長線上にあるとしか思えないのは私だけであろうか。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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