イランが「世界の救世主」になる日

時代を読む 第54回 原田武夫

時代を読む 第54回 原田武夫

電話ボックス

ヒトは誰でも最初から他人に対する殺意を持って生まれてくることなどない。あどけない表情をしている赤ん坊たちには、憎悪の念は全く見当たらない。

それがいつの間にか、「分別」という名の固定観念を植え付けられるからこそ、「善悪」の区別をするようになり、やがて「敵は殲滅・撲滅すべし」ということになってくるのだ。

もっともこのような「分別」は、自然に植え付けられるわけではない。物理的に圧倒的な存在が、同じく圧倒的な資源をもって社会全体に刷り込むからこそ、分別は分別として認識されるようになるのである。

外交官であった時、こんなことがあった。ある時、ジョージ・W・ブッシュ大統領が行った演説がきっかけだ。

「世界から悪の枢軸を駆逐すべし」

ブッシュ大統領はこの時、突然「悪の枢軸」なる概念を打ち出した。具体的な国名まで列挙して、である。そして「悪」として名指しをされた国の中には、イランが含まれていた。私は相当な違和感を覚えた。

なぜならば私の世代、すなわち団塊ジュニア世代にとって「イラン人」といえば、イラン・イラク戦争の戦火を逃がれるべく、遠い東方の我が国にまでやってきた“可哀想なヒトたち”といったイメージが付きまとうからである。学生の頃、しばしば家で長電話を叱られると、近所にある公衆電話ボックス(!)に駆け込んだ。たいていの場合、偽造した「高額テレホンカード」を握りしめて、祖国に暮らす家族と長電話をしているイラン人たちと出くわしたものだ。

形相こそ私たち日本人とは全く違うけれども、彼らは皆、礼儀正しく、静かなヒトたちであった。長電話をしている最中に私が公衆ボックスの前でイラついた表情を見せると、「すみません、もう少しで切りますから」と片言の日本語で謝ってくれたりもした。大変懐かしい思い出だ。

それが21世紀に入った途端に「イランこそ悪の枢軸だ」といきなり言われたというわけなのである。当時、外交官であった私は、外務省のデスクに座りながら、このブッシュ演説をリアルタイムで聞いていたのだが、かつて東京の片隅で公衆電話ボックスを譲り合っていたイラン人の青年たちのことを思い出し、えも言われぬ強烈な違和感を覚えたことを今でも鮮明に覚えている。

あれから何が起きたのか。――アメリカはその後も徹底して「イランは核兵器を開発している」と大合唱し続けた。そして遂には、武力行使までするのではないかと思われたわけだが、ところが状況は反転する。イランやアメリカなど7カ国が「イランの核問題に関する会議」をいきなり開催し始めたのである。

その後「会議は踊る」とは、まさにこのことといった状況が続いたものの、結果としては「大団円」となった。そしてアメリカや欧州、そして我が国からも数多くの企業が、地域大国として巨大なマーケットを持つイランへと殺到したのであった。

そうした中、私が大変お世話になっている華僑リーダーから、「イランがニッポンの技術を求めている。インフラ関連技術を筆頭に何か適当なものをピックアップし、プロジェクトとして提案できないか」とのお話を頂いた。アメリカが制裁を完全には解いていないイランへの技術提供に我が国の企業たちは二の足を踏んだが、それでも何とか提案書を出すと、テヘラン入りしたこの華僑リーダーがこんなことを伝えてきてくれたのである。

「イスラム国(IS)が荒廃させた土地を今度はイランが復興させていくらしい。そのためにニッポンの技術を使いたいと、故ホメイニ師の右腕から聞いた」

なんということだろうか。イランはこれからまさに「救世主」の役割を担うのである。「悪の枢軸」から180度の大転換。これこそがグローバル社会の現実であり、世界史の真実なのだ。

今頃、あの街角の公衆電話で熱心に祖国へと電話をかけていた青年は、何をしているのであろうか。テヘランからの知らせを聞き、気になって仕方がない自分がいる。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています

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