「断末魔の叫び」としての日本株上昇

時代を読む 第64回 原田武夫

時代を読む 第64回 原田武夫

日本地図

今、我が国の株価が怪しい動きを続けている。一見したところ、グローバルマーケットの動向と連動しているかのようではある。しかし、その実、明らかにそれとは食い違う動きも見せているのだ。

「上場されている日本株の時価総額の実に3分の1が公的資金によって買い支えられている。これを“社会主義的資本主義”と言わずに、一体何と言うべきなのだろうか」

金融マーケットの実情について、つぶさにご指導してくださっているアジア屈指のマーケットの猛者は先日、私に対してそう言い放った。要するにプロの目から見ると「我が国における株価の高さはあまりにも不可思議だ」というわけである。

もっともこのように言うと、大手企業の関係者である読者からは猛然とした反対の声が聞こえてくるに違いない。「日本企業は愚鈍だと言われながらも地道な努力を重ねているではないか。技術にしても世界一であるし、次々に新製品やサービスも打ち出している。それに裏付けられた数値こそが現在の日本株の水準なのではないか」というわけである。だが、私はこうした、一般に信じられている説明が完全に虚飾にまみれたストーリーであることを知っている。

実のところ、事態はむしろ逆なのである。――そもそも去る2005年ごろより、我が国における人口縮小は決定的なトレンドとなった。すなわち放っておくと国内マーケットは狭まる一方なのだ。そうした中で付加価値を創り出してくれる労働力はというと、非常に心もとないのである。

「少子高齢化」の中で我が国における若年労働者は減る一方だからだ。無論、政府や企業として何もしないで手をこまねいて見ているわけではない。まず人工知能(AI)やロボットを積極的に開発し、投入してきている。しかし厄介なのは、こうした努力の結果、ますます人々の仕事が奪われてしまうという現実が生まれていることなのである。

あるいは外国人労働者を次々に受け入れる姿勢を我が国政府はいよいよ見せ始めてすらいるのである。だが、中長期的に見れば確かに意味があるように思われるこの施策も加速度的に進む「少子高齢化」とそれに伴う「国内マーケットの縮小」という現実を前にすると、文字どおりの“焼け石に水”に他ならないのだ。問題の多くについて全く抜本的な解決がもたらされることなく、事実上放置されている。そうした中で我が国企業は実のところ、大企業から順番に大変な苦境に陥っているというのが真実なのである。

名だたる大企業は、そのようにして塗炭の苦しみを味わいつつあるのだが、もうそろそろそれも限界になりつつあるのが現実であることを忘れてはならない。

紙幅の都合があるのでここでは個別具体的な企業名は差し控えることにしたい。しかし、読者各位がその名を聞いたらば「まさか!?」と思う企業が続々とその実、経営不振、しかも超弩級のそれに陥りつつあるのである。

大変興味深いのは、そのようにして苦境に陥っているはずの我が国の大手企業たちにも、「最後の一手」が残されている点なのだ。端的に言うと「株式を担保にした金融機関からの融資取り付け」である。そのためにメインバンク制があるわけだが、当然、金融機関の側も黙ってカネを出すわけではない。一つの大きな条件を提示する。それが実のところ「株価を人為的に上昇させ、その担保価値を引き上げてから持ってくるように」という条件なのである。

賢明なる読者にはここでお分かりいただけたことと思う。「アベノミクス」以降の我が国における株価の急上昇と「高値どまり」は、こうした最後の非常手段がいよいよ行使されていることだけを理由にした動きなのである。

そこに「断末魔の叫び」を聞くのは私だけであろうか。残された時間はあまりにも少ない。読者にも「その時」に向けた心構えが問われている。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています

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