「企業再生」の足音が再び聞こえるニッポン

時代を読む 第70回 原田武夫

時代を読む 第70回 原田武夫

騎士

相も変わらず「大本営発表」のような政府による経済評価と見通しばかりが連呼されている我が国。そうした我が国の奥底において今、再びあの足音が聞こえ始めている。「企業再生」である。富裕な諸国から続々と投資家が飛来し、我が国において企業再生ファンドを極秘裏に設立し始めている。

「ニッポンの不動産マーケットは、もう終わった。これから儲けるとするならば、企業再生しかない」

そう断言する彼らは人知れず海の向こう側から、大量の資金を次々に持ち込んでいる。我が国からの「資金持ち出し」となると異様にうるさい金融当局であるが、「資金持ち込み」となると合法的な手続きによる限り、資金規模を問わずウェルカムである。そのことを前提に彼ら「越境する投資主体」の紳士たちは夜な夜なプライベート・ジェットで我が国空港に飛来しては、昼間に我が国大企業の最高幹部らと話し合い、そして再び夜な夜な去っていくのが実態なのだ。

「企業再生」というとどうしてもヒーロー物のストーリーを考えてしまうのが私たち日本人の悪い癖である。先代社長である会長が亡くなり、およそ無能な息子が社長に就任。放蕩の限りを尽くす中、いよいよ銀行団から「NO」が突きつけられる。不祥事や刑事事件までもが勃発する中で中堅の志ある若きリーダーが声なき声を上げ始め、再建を手伝う金融セクターの担い手たちと共に、時に無茶な要求をする債権者やコンサルタントと闘いながら、ついには念願の「企業再生」をやり遂げる。そんなところだろうか。

だが、実際には違う。最近、こんなことを聞いた。

「企業再生を法律上、民事再生手続で行おうとすると大変な時間がかかってしまう。そこで裁判外紛争解決手続(ADR)で処理してしまうのが通常だ。その時カギを握るのが、不良債権を安値で買い取ってくれる白馬の騎士(ホワイトナイト)が現れるかどうかなのである。もし現れなければ元々の貸し手である銀行団が土足で入り込み、二束三文で買い荒らしていく。それを防ぐために第三の資金主が現れてくれれば、これに倒産企業側が飛びつくのは目に見えている。ところがこれが罠なのであって、そこで買い取られた不良債権はある段階で新株と交換されるのである。再上場の際、その新株は元値である不良債権買取価格の何百倍にもなって取引されるわけだから、企業再生ファンドの側は莫大な富を得るのだ」

結局のところ、件の「ヒーロー物語」はこうした「カネがカネを生む錬金術」を巧みに隠蔽するため、陰の担い手たちが世間に対してばらまく(フェイク「誤り」ではないにせよ)半ば作り物のストーリーに過ぎないのである。

なぜこうしたストーリーが必要なのかといえば、これら企業再生ファンドにとって、「再上場」した時に当該破産企業の株式が活発に取引される必要があるからだ。その結果、莫大な利益がごく少数の投資家らの手元にわたることを知らないお茶の間の庶民は「涙なしでは語れない再生劇」に感涙し、盛大なる拍手を送るのである。劇場型政治ならぬ「劇場型マーケット」とは、このことだろう。

早ければ、2019年の春に再びこの「劇場」の幕は切って落とされる。その時、誰が餌食となり、誰がホワイトナイトとなるのか。

読者の皆さんが、くれぐれも「餌食」とならないことを強く祈るのみである。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し再掲載しています

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