予感する未来
 – 大阪モダニズム

大阪ほど、「モダン」という言葉が似合う都市はない。明治期以降、市民の力で未来をつくってきたからにほかならない。1920年代に人口200万人を超え、豊かな経済基盤を生かし、産業から文化芸術まで活気にあふれた黄金時代を築いた。大阪のモダニズム建築は、その時代の空気を映している、と同時に市民の力でつくる未来を示唆しているとも言えそうだ。

August 20, 2023 Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
September 4, 2023 Last modified

大阪ほど、「モダン」という言葉が似合う都市はない。明治期以降、市民の力で未来をつくってきたからにほかならない。1920年代に人口200万人を超え、豊かな経済基盤を生かし、産業から文化芸術まで活気にあふれた黄金時代を築いた。大阪のモダニズム建築は、その時代の空気を映している、と同時に市民の力でつくる未来を示唆しているとも言えそうだ。

(左)旧大阪教育生命保険ビル (右)北浜レトロビルヂング
(左)旧大阪教育生命保険ビル
1912(明治45)年竣工。赤レンガに花崗岩(かこうがん)の白いラインが際立つ外壁、屋根に見えるドーマーや煙突、装飾を施したエントランス……船場の一角に立つ辰野金吾による建築だ。
(右)北浜レトロビルヂング
大阪証券取引所の向かいに立つ北浜レトロビルヂングは、もともと証券の仲買業者の社屋として1912(明治45)年に竣工。英国のグラスゴー派の影響を受けた建築だという。

金融の町、北浜・中之島を語る上で、淀屋常安(よどや じょうあん)に触れずばなるまい。戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した豪商である。

大阪商人の才覚

秀吉が天下を取った当時、大坂の町は建設ラッシュだった。一旗揚げようと、全国から材木商や土木業者が押し寄せた。
常安はその一人だ。伏見城建設で頭角を現し、続いて淀川の堤防工事で名を上げた彼は、時勢を読んで行動すること、俊にして敏。徳川本陣を無料で造り、さらに戦場で回収した武具の販売により巨万の富を得た。

それもすごいが、ここからが常安の真骨頂。大坂夏の陣で焼け野原と化した町で、「自費で淀川の中州を埋め立てる」ことを画策する。誰も見向きもしなかったこの地を物流の拠点にした。そうして誕生した巨大な造成地こそ、現在の中之島である。

果たして各藩はここに競って蔵屋敷を建て、出荷する米を一時保管するようになる。当然、米の取引所が設置され、常安は大量の米の売買を差配。加えて米価の安定をはかるために、米の先物取引という新しい仕組みを導入した。世界初の先物取引だ。「これぞ大阪商人の才覚」と感じ入る。

日本銀行大阪支店旧館
日本銀行大阪支店旧館
1903(明治36)年竣工。ドーム型の屋根を持つ旧館は、ベルギー国立銀行をモデルにしたと伝わる。外壁は当初レンガ壁に花崗岩を積んだものだったが、今は鉄筋コンクリートだ。
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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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