ひとときかける

食語の心 第103回 柏井壽

食語の心 第103回 柏井壽

食語の心 第103回

令和も4年になれば、きっとコロナなど、その名をだれもが忘れてしまうほど収束するだろうと、たかをくくっていたが、見事にその思惑ははずれ、令和4年の節分になって、またぞろ緊急事態宣言などという言葉が巷に流れはじめた。

もういい加減にして欲しい。だれもがそう思うのは、ふつうの暮らしができないからで、とりわけ食生活にさまざまな制限が加えられていることは、再三にわたってこのコラムでも苦言を呈してきた。
重症化リスクの高いひとを除けば、そろそろすべての制約を取り払い、もとの暮らしに戻してもいいのでは、と思いながらも、制約された範囲内でどう食を愉しむか、に腐心してきた。

そのなかで、大きな収穫となったのが、ひと手間ならぬ、ひとときをかけることで、おいしいものが生まれる、という発見である。

コロナ禍の前には、時短などという言葉がもてはやされ、いかに短時間で調理するのかを競い合うような、馬鹿げたブームがあったが、その正反対の効果を、コロナ禍で見つけたのだ。

今までより時間をかけることで、格段においしさが増す。

最初にそのことに気付いたのはお茶の時間だった。
いちおう京都人の端くれなので、日本茶は良質のものを買い求めているし、ペットボトルなどは論外として、ちゃんとした茶葉を使って急須で入れている。

ちょうどその茶が切れたので、歳暮に頂戴した飛び切り上等のお茶を入れようとして、細かな入れ方を書いたリーフレットを読み、そのとおりにしてみた。

これまでお茶を入れる際に省いていたのは、湯冷ましを使って、沸かした湯の温度を下げることと、湯呑をあたためておくこと。
温度計を見ながら、65度になったのをたしかめてから急須の茶葉に湯を注ぐ。湯呑をあたためておいた湯を捨て、ゆっくりと茶を注ぐ。

わずかこれだけの手間というか、時間をかけるだけで、かくもおいしくなるのか。苦味だけでなく、甘みと香りが格段によくなることに驚いたのだが、きっと以前と違う茶葉のせいだと思った。
ならばと以前とおなじ茶葉でおなじ入れ方をしてみたら、明らかにおいしくなった。

目からうろこが落ち、次にためしたのはコーヒー。

まずは近所のコーヒー屋で焙煎し立ての豆を買うことからはじめ、納戸に仕舞っていたコーヒーミルを引っ張り出し、豆を挽いて、ステンレスのドリッパーでコーヒーを入れてみた。
これは間違いなくおいしい。
これまでインスタントではなくレギュラーコーヒーではあったが、ドリップバッグ方式の手軽なもので入れていた。それでも十分おいしいと思っていたが、それとは次元が違う。

緑茶、コーヒーの次は当然ながら紅茶を試してみた。緑茶やコーヒーに比べて、圧倒的にそれを飲む頻度は低い。そこそこ上質なものを選んではいたが、ティーバッグ方式で入れていた。

これもまず茶葉を買い求めることからはじめた。幸い近所に世評の高い紅茶屋がある。そこで店のひとと相談しながら、茶葉を買ってみた。『STARDUST』というお店の〈上海の夜明け〉という茶葉である。サフランの花が入っていて、バニラの香りが豊かなマンダリン系の紅茶だ。

熱湯で入れて3分待つと書かれていた。もちろんポットやティーカップをあたためておくのも忘れてはいけない。紅茶とはこんなにおいしいものだったのか。思わずうなってしまうほどおいしい紅茶であった。

3分待つ。この時間が紅茶をおいしくしているのは疑う余地もない。
コロナ前の慌ただしい暮らしの中なら、きっとこの3分を惜しんだだろう。それは65度まで湯温を下げる緑茶も、豆を挽くことからはじめるコーヒーもおなじこと。

ほんのわずかな時間をかけることでおいしくなる。それは飲みものだけではなく、食べものもおなじはず。
少しの時間と手間を惜しんで、これまでは、ジャガイモを鍋でゆでずに、電子レンジを使って下ゆでしていた。
大幅に時間を短縮できるのと、火力を調節したりする手間を省けるからだったのだが、当たりまえのことながら、ちゃんと鍋でゆでたほうが、ホクホクとしたおいしいジャガイモになった。

ひとときを加える。それは心のゆとりとなって、おいしさに変わるのだろうと思った。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2022年3月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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